前髪おじさん。
そのおじさんは、前髪しか生えていない。
おでこを隠すように綺麗に眉の上で揃った、短めの髪。
細胞の芯まで整って、黒く光る髪。
その美しい髪は、なぜか前頭部にしか生えていない。
そのおじさんは、歩くのが早い。
歩幅が大きく、早足で歩く。
昔から足がとても早い。
振り返ったときには、もういない。
声をかけようとしたときには、もういない。
その変わった風貌から、誰もが二度見する。
話しかけるのを、誰もが躊躇う。
躊躇ったあと「やっぱり気になる」と思ってももう遅い。
あとから気になって引き止めようとしても、早足でどこかへ行ってしまう。
でもすぐにいなくなってしまうから、みんな忘れる。
ある日ぼくの目の前に、そのおじさんが現れた。
気になって仕方がなかったから、おもむろに周りの目を気にせず話しかけた。
するとおじさんは、にこっと笑い
「いいよ。」と言った。
訝しむ暇なんてないと思った。
おじさんの前髪をめがけて勝手に手が動いた。
「失礼します!」
ぼくはおじさんの綺麗に揃った前髪を暖簾のようにめくった。
おでこには、ぼくの未来が広がっていた。
「?」
そういうことか。
目を閉じて納得する。
ゆっくり瞬きをしてしっかりと焦点を合わせて、お礼を言おうとしたけど
おじさんはもういなかった。
おじさんとの出会いとさっき見えた未来は、夢物語ではなく、もうぼくのなかにある。
そして、その未来は必ず過去になると確信した。