今日の臨終。
夜明けが嫌いな理由は、今日という日が死んでいく瞬間を目の当たりにしているようだから。
真っ黒で草も虫も鳥も鳴かないような静けさの午前3時を過ぎた頃から、少しずつ少しずつ白んでいく空。
ふたりの あるいはひとりの秘密ごとを隠してくれるような、内緒話を包んでくれるような、黒くてあたたかい世界に、「私は正しい」と言わんばかりの光が少しずつ差していく。
正しいことも正しくないことも、嘘も本当も、鍋で煮詰めたらどっちもどっちなのに。
食べられなかった、受け付けなかったものだけが、わたしにとって要らないものなのに。
それを無視した正義感づらをした「正しさ」が今日の夜を殺しにくるような気がする。
少しずつ少しずつ、優しく絞め殺していく。
気づかないうちに今日の夜は最期の時を迎え、誰にも弔われず静かに消える。
そして明日が生まれ今日になる。
生まれてくることに悪気はないはず。
悪気なく生まれた今日は、悪気ない明日に今日も殺される。
臨終の儀式はいつも美しい。
とても眩しくて、目の当たりにすることができない。