人間ふたり。

お母さん、どうしてそんなにきげんがわるいの?

わたしがわるいこだから?

お母さん、へやがまっくらだよ。

お母さん、こえがおおきいよ。

なみだがでちゃってごめんなさい。

いいこにしていたいんだけど、

どうしたらいいかわからないんだ。

どうしたらよろこんでくれる?

どうしたらおこらない?

こわいのはやだな。

いたいのはやだな。

でも、いちばんいやなのは

お母さん がふきげんなことだな。

だからぜんぶ、がまんしよう。

わたしががまんすると、いいことがたくさんある。

 

 

いつもひっそりと佇む灰色の神社が、魔法にかかったように橙色の灯りに強く照らされて、近所の小学生が群がっている。

笛と太鼓の音が、遠くから近くから重なるように鳴り響いている。

屋台のおじさんは、仏頂面なのに目が合うと急に笑う、へんな人。

別に欲しいものなんてないけど、何か欲しい、何かしたい、そうか、思い出が欲しい。

それをうまく言葉にできなかった幼いわたしは、ゆっくり歩いた。

境内の石畳を一枚ずつ、一歩ずつ、踏みしめて歩きながら、いっぱいいっぱい考えた。

考えても、どうしたらいいかわからなかった。

母はわたしの態度に苛々として、適当に見繕ったキーホルダーを買ってきた。

プラスチックでできていて、頭と胴と尻尾が分かれてゆらゆら動く、緑色の狐のキーホルダー。

なにこれ、あんまりかわいくない。

せっかく買ってきてくれたから「ありがとう」と言ってとりあえず握りしめた。

たぶん、わたしは屋台のおじさんと同じ顔をしていた。

母の気持ちとわたしの気持ちは全然重ならないまま、家路についた。

せっかくの祭りで浮かない顔をしている娘をなんとか宥めて 楽しい思い出 を作ろうとした母。

母の厚意を 気休めや子ども騙しの行動 だと感じ、受け付けなかった娘。

どちらも愛を求めていながら、お互いの核心に触れられず、重なることができなかった。

「あなたは何を考えているかわからない」

帰宅するや否や、部屋の電気をつける間もなく、母は苛立ったのちの怒りをわたしにぶつけた。

母は叱責という方法で、自分の気持ちを解放することで重なろうとし、

わたしは叱責に耐えるために本音を噤み、とにかく我慢することで重なろうとした。

親子というのは複雑な関係だ。

繋がっているのに、人間ひとりと人間ひとり。

守るために掬う側の気持ちと、成長するために経験を拾い集めていく側の気持ち。

掬うと拾うは一見同じ作業のようで全然違う。

違う作業なんだから、重なるはずだ、と思わなくてもいいのに。

通じ合うことが前提のような関係だと感じ、

なんとかねじ伏せて重ねようとしてしまう。

どんなに丁寧に折り鶴を作っても、羽の先がずれることもある。

それはあなたが悪いんじゃない。

重ならなかったことを悔やんで悲しまないで。

人間は自分のために生きていい。

我慢しなくてもいいことはたくさんある。

 

 

だいじょうぶ、がまんしなくていいからね。