キャバレー・ナインティナイン。

「あたし達ねぇ、もうずっとここで働いてんだけど、あんたみたいな子はじめてよ。」

「ね?あんたもそう思うわよね?あたしもそう思ってたところよ。」

双子の姉妹だろうか。顔立ちも体つきもよく似た、お世辞にも美人とはいえない女2人が、接待をしながら私に話しかけてくる。

客として招かれたようだけど、何が目的でここに居るのか自分でもわからない。

そうだ、先生はどこだろう。

先生に聞いてみたら、なぜ私がこんなところに居るのか?自分の意思で来たのか?連れてこられたのか?わかるかもしれない。

「あの、先生はどちらにいらっしゃいますか?」

さっきの双子の姉妹はオウム返しのように同じ話題を同じ口調でぐるぐる喋るから話が進まない。

私の期待するような返事をくれそうな、いかにも頭の良さそうなおじさんを見つけて話しかけた。

燕尾服の蝶ネクタイと黒い髭がよく似合う、小柄なおじさん。

大きなシルクハットを被っているから、身長は120センチくらいだろう。

そのおじさんは私の声に気づくとにこっと笑みを浮かべながら答えた。

「あなたが先生と仰る御方は、あちらに…」

やっぱり想像していた通り話のわかる人だ。よかった!出口のない迷路から抜け出せそうな気がして安堵した。

丁寧にお礼をして、あちら と言われた方へ目を向ける。

先生がいた。

手を振りながら近づくと、先生はこちらに気づいて一言。

「どう、これ似合う?」

先生の服は真っ白だった。

重みのあるもったりとした厚手の生地で、ミラーボールの光や照明が重なってできる鮮やかな模様が白い布に吸い込まれて抽象画のカンバスのようだった。

頭には同じ生地をターバンのように巻いていて中東系の人物に扮しているのかなと思った。

「石油王の衣装か何かですか?」

率直な感想を口にしただけなのに、つまらない冗談はよせといった風に、先生は黙って不機嫌そうに葉巻をふかした。

違ったようだ。似合うかどうか聞いているんだから、イエス・ノーで答えるべきだった。

一瞬小さな反省をした後、慌てて機嫌を取るように「お似合いです!」と上擦った声がでた。

ああ、咄嗟に出た言葉だったので相手を気遣う声のトーンや質感を一切無視した、荒い台詞に聞こえただろうか。

 

ずっと煙たい。

自分の上辺だけで調子を取ろうとする浅はかな心も、ダンスホールで色気を撒き散らして踊っている女たちも、光が反射するほどに固めたリーゼント頭の男たちの奏でる音の粒も、グラスのぶつかり合う音も、品のない囁き声も、先生のふかす葉巻も。

さっきからずっと煙たい。

 

私はどうやってここへ来て、なぜここに居るのか、この世界に私の居場所はあるのだろうか。

先生はあの会話のあとから目を合わせてくれない。

さっき先生の居場所を教えてくれた、頭の良さそうなおじさんにもう一度聞いてみよう。

「あの、質問があるのですが、また少しよろしいですか?」

がやつく人混みを掻き分けて、さっきのおじさんめがけて話しかけた。

おじさんの肩には小さな鰐が乗っていた。

本物か疑いながらじっとり鰐の顔を見つめると、ぎょろりと大きな黄色いビー玉のような目玉が手品のように出てきた。

ビー玉の奥の瞳孔は、爬虫類特有の睨みを効かせた威嚇の態度でこちらをしっかりと見つめる。

「生きた鰐とは珍しいですね、芸でも仕込んでいるのですか?それともただ愛でるために飼っているのですか?」

おじさんから答えが返ってくることはなかった。

おじさんの肌は石膏のように乾いていて、さっきにっこり微笑んだ顔のまま動かない。

「ねえ、見て。あの子、ミスターの置物に話しかけてる…おかしな子ね…」

通りすがりの男女がくすりと笑いながらこちらを指差していた。

ふむ。周りではなく私の方か。

そういえば、さっきのおじさんからの返事には違和感を感じていた。

初めて会った私に、先生がどんな風貌かも聞かず、どうして先生を先生とわかったのだろう?

あの時から、私は自分が欲しい答えを貰える人を選んで、望んだもの以外を受け付けない頭になっていたのだろうか。

双子の姉妹を頭の悪い人間と決めつけて、私は身なりの整った頭の良さそうな人間を選んだ。

あの時から、ではなくずっと、だったのだろうか。

先生は遠くの方で、豊満な体の美しい女を連れて梅重色のカーテンを潜っていった。

誰とも馴染めず居心地の悪い世界ではあるが、夢見心地で楽しんでみるのも良いかもしれない。

どうせ先生に「大人の世界を見せてあげよう」とでも唆されて無理やり連れてこられたんだろうから。

梅重色の先まで先生を追いかけるのは野暮だし、子どもがるのはやめよう。

 

「あら、おかえり。あんたどこに行ってたの?もうすぐ今夜一番のショーが始まるわよ。」

「あら、おかえり。あたしもそう思ってたところよ。もうすぐ今夜一番のショーよ、興奮するわ。」

バツン、と大きな音を立てて店の照明が落ちた。一切の音が鳴り止み、葉巻や水煙草の煙もすうっと消えていった。

店じゅうの人間が息を飲む音だけが聞こえた。

ステージの幕が上がる。

少しずつ上がる幕の先に、好奇の目でこちらを凝視する大勢の観客が見えた。

 

前髪おじさん。

そのおじさんは、前髪しか生えていない。

おでこを隠すように綺麗に眉の上で揃った、短めの髪。

細胞の芯まで整って、黒く光る髪。

その美しい髪は、なぜか前頭部にしか生えていない。

 

そのおじさんは、歩くのが早い。

歩幅が大きく、早足で歩く。

昔から足がとても早い。

振り返ったときには、もういない。

声をかけようとしたときには、もういない。

 

その変わった風貌から、誰もが二度見する。

話しかけるのを、誰もが躊躇う。

躊躇ったあと「やっぱり気になる」と思ってももう遅い。

あとから気になって引き止めようとしても、早足でどこかへ行ってしまう。

でもすぐにいなくなってしまうから、みんな忘れる。

 

 

ある日ぼくの目の前に、そのおじさんが現れた。

気になって仕方がなかったから、おもむろに周りの目を気にせず話しかけた。

するとおじさんは、にこっと笑い

「いいよ。」と言った。

訝しむ暇なんてないと思った。

おじさんの前髪をめがけて勝手に手が動いた。

「失礼します!」

ぼくはおじさんの綺麗に揃った前髪を暖簾のようにめくった。

おでこには、ぼくの未来が広がっていた。

「?」

そういうことか。

目を閉じて納得する。

ゆっくり瞬きをしてしっかりと焦点を合わせて、お礼を言おうとしたけど

おじさんはもういなかった。

おじさんとの出会いとさっき見えた未来は、夢物語ではなく、もうぼくのなかにある。

そして、その未来は必ず過去になると確信した。

 

人間ふたり。

お母さん、どうしてそんなにきげんがわるいの?

わたしがわるいこだから?

お母さん、へやがまっくらだよ。

お母さん、こえがおおきいよ。

なみだがでちゃってごめんなさい。

いいこにしていたいんだけど、

どうしたらいいかわからないんだ。

どうしたらよろこんでくれる?

どうしたらおこらない?

こわいのはやだな。

いたいのはやだな。

でも、いちばんいやなのは

お母さん がふきげんなことだな。

だからぜんぶ、がまんしよう。

わたしががまんすると、いいことがたくさんある。

 

 

いつもひっそりと佇む灰色の神社が、魔法にかかったように橙色の灯りに強く照らされて、近所の小学生が群がっている。

笛と太鼓の音が、遠くから近くから重なるように鳴り響いている。

屋台のおじさんは、仏頂面なのに目が合うと急に笑う、へんな人。

別に欲しいものなんてないけど、何か欲しい、何かしたい、そうか、思い出が欲しい。

それをうまく言葉にできなかった幼いわたしは、ゆっくり歩いた。

境内の石畳を一枚ずつ、一歩ずつ、踏みしめて歩きながら、いっぱいいっぱい考えた。

考えても、どうしたらいいかわからなかった。

母はわたしの態度に苛々として、適当に見繕ったキーホルダーを買ってきた。

プラスチックでできていて、頭と胴と尻尾が分かれてゆらゆら動く、緑色の狐のキーホルダー。

なにこれ、あんまりかわいくない。

せっかく買ってきてくれたから「ありがとう」と言ってとりあえず握りしめた。

たぶん、わたしは屋台のおじさんと同じ顔をしていた。

母の気持ちとわたしの気持ちは全然重ならないまま、家路についた。

せっかくの祭りで浮かない顔をしている娘をなんとか宥めて 楽しい思い出 を作ろうとした母。

母の厚意を 気休めや子ども騙しの行動 だと感じ、受け付けなかった娘。

どちらも愛を求めていながら、お互いの核心に触れられず、重なることができなかった。

「あなたは何を考えているかわからない」

帰宅するや否や、部屋の電気をつける間もなく、母は苛立ったのちの怒りをわたしにぶつけた。

母は叱責という方法で、自分の気持ちを解放することで重なろうとし、

わたしは叱責に耐えるために本音を噤み、とにかく我慢することで重なろうとした。

親子というのは複雑な関係だ。

繋がっているのに、人間ひとりと人間ひとり。

守るために掬う側の気持ちと、成長するために経験を拾い集めていく側の気持ち。

掬うと拾うは一見同じ作業のようで全然違う。

違う作業なんだから、重なるはずだ、と思わなくてもいいのに。

通じ合うことが前提のような関係だと感じ、

なんとかねじ伏せて重ねようとしてしまう。

どんなに丁寧に折り鶴を作っても、羽の先がずれることもある。

それはあなたが悪いんじゃない。

重ならなかったことを悔やんで悲しまないで。

人間は自分のために生きていい。

我慢しなくてもいいことはたくさんある。

 

 

だいじょうぶ、がまんしなくていいからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

缶詰牧場。

「おーい!おーい!逆さまになるぞー!」

牛飼いの大きな声が、広い草原に響き渡る。

それを聞いた牛たちは一斉に声を上げ、逆さま に備えて牛小屋に戻る。

その町では週に何度か 逆さま と呼ばれる現象が起こる。

天地が逆さまにひっくり返り、しばらくすると元に戻る。

逆さま が起こるのは日常茶飯事なので、町の人々が不思議に思うことはない。

その町ができたときから、ずっと、続いていることだから、一々気に留めない。

それ相応の心持ちでそれぞれを生きている。

その町にひとつある、大きな牧場の牛たちだけが、いつも牛飼いの声で はっ とし慌てて大移動する。

生い茂る深い緑を風が撫でていく、気持ちの良い日和に限って 逆さま が起こるんだから、牛たちはうんざりしている。

 

 

 

「おーい!逆さまになるぞー!おーい!」

また今日も 逆さま が起こる。

空と地面が大きく音をたてて逆さまになっていく。

遠くの空で、子どもの笑い声が聞こえる。

「今日の 逆さま は長くなりそうだな。」

牛飼いはため息をつきながら、急いで牛小屋に牛を納める。

自分勝手な人間どものせいで、心地よい日和も牛たちも迷惑を被っている。

 

 

 

子どもたちは楽しそうにその缶詰を 逆さま にする。

なんの事情も知らない無邪気な子どもの笑い声が、穏やかな昼下がりの部屋に響く。

逆さまになった缶詰は、今日もモーモー鳴いている。

 

 

 

今日の臨終。

夜明けが嫌いな理由は、今日という日が死んでいく瞬間を目の当たりにしているようだから。

真っ黒で草も虫も鳥も鳴かないような静けさの午前3時を過ぎた頃から、少しずつ少しずつ白んでいく空。

ふたりの あるいはひとりの秘密ごとを隠してくれるような、内緒話を包んでくれるような、黒くてあたたかい世界に、「私は正しい」と言わんばかりの光が少しずつ差していく。

正しいことも正しくないことも、嘘も本当も、鍋で煮詰めたらどっちもどっちなのに。

食べられなかった、受け付けなかったものだけが、わたしにとって要らないものなのに。

それを無視した正義感づらをした「正しさ」が今日の夜を殺しにくるような気がする。

少しずつ少しずつ、優しく絞め殺していく。

気づかないうちに今日の夜は最期の時を迎え、誰にも弔われず静かに消える。

そして明日が生まれ今日になる。

生まれてくることに悪気はないはず。

悪気なく生まれた今日は、悪気ない明日に今日も殺される。

臨終の儀式はいつも美しい。

とても眩しくて、目の当たりにすることができない。

 

手のひらの男女。

薄茶色のグラデーションがかかった銀色の縁の眼鏡、真っ黒な髪にパンチパーマをあてた髭面の男。

あぐらをかいて偉そうに怒鳴り声を上げる。

「おい、飯だ!飯を持ってこい!」

すると台所から絹糸のように細くて優しい品のある声。

「はーい!只今!」

真っ白なレース飾りのエプロンを纏い、声の通り品のある、振り向いた瞬間の残像さえも輝くような端麗な女。

今にも殴りかかってきそうな男の剣幕に、その女は全く動じない。

「お待たせして、ごめんなさいね」

そう言って、食卓にすっと差し出したのは金色の鎖。

頭上の白熱灯の明かりを受けて鈍く光る、金色の鎖。

男は、実に美味いと言いながらその鎖を喉に流す。

女は、それを見て嬉しそうに微笑む。

男が夢中で流し込む鎖のしゃりしゃりという金属音と、女の屈託のない微笑みで、食卓は一瞬、円満に綻んだ。

 

数分後、男は悶え苦しみ息絶えた。

女は食卓に残された金色の鎖を、天秤に乗せるようにゆっくりとしなやかに、手のなかに納めた。

 

 

ヘリタンス カンダラマ。

旅に出たいなぁ。

日帰り温泉とか、一泊弾丸旅も好きだけど、

現実をすぽーんと忘れるくらいの旅がしたい。

今までの旅で忘れられない宿の話をひとつ。


スリランカにある、有名な建築家ジェフリー・バワのホテル、ヘリタンス カンダラマに泊まったときのお話。

 


ヘリタンス カンダラマは、スリランカを代表する建築家、ジェフリー・バワによってつくられたバワ建築のなかでも有名なホテルで、スリランカに旅行に行くことになったとき、「絶対ここに泊まりたい!」と思っていました。

森のなかに建物が半分埋もれているような感じのところで、建物内の壁は岩肌が剥き出しになっていたり廊下に木が生えています。

なんともいえない、自然と人工物のせめぎ合いというか、年々森に飲み込まれていく外観は、まるで廃墟のような趣きがあります。

廃墟好きにはたまらない雰囲気だけど、あの廃屋特有の 錆びれて寂れた感じ はなく、清潔感があり、建物として 生きている 中にいる人たちの気遣いによって 保たれている という感じ。

これだけの森林と野生動物に囲まれたら、人間基準の清潔感を保つことって相当な気遣いが必要だと思う。維持しているのが本当にすごい。プールもレストランもラウンジもスパもおみやげ屋さんもしっかりあって超〜キレイなちゃんとしたホテルです。

部屋の窓の外を見ると眼下の平原には象の群れ、ベランダのガラス越しに猿の親子、廊下を見上げると屋内なのにツバメの巣、それを守るツバメたち、極めつけは部屋のなかを這う真っ白なトカゲ。

幸いわたしは爬虫類に抵抗のない人なので、すっげーかわいいい!とひとり興奮していました。

苦手な人はどうにもできない(そういうコンセプトのホテルだから駆除とかはできない)から厳しいかもしれない、、。

真っ白なトカゲってすごく綺麗なんですね、爬虫類って動物のなかでもちょっとスレたイメージ(トカゲとかヘビとかなんかオラついてる感じ)だったんですけど、ここのトカゲは清廉潔白なオーラを放っていました。

 

この宿は今までの人生でいちばん興奮した宿かもしれない。

何を意識しなくとも脳がトリップできる。

変なホテルの比じゃないくらい変なホテル。

いや、変なホテルも行ったことないから行ってみたいですけど、、

AIの脅威とか感じちゃうのかなぁ、単純にロボット可愛い!って感じるのかなぁ、

変なホテル泊まってみたい。

 

話が逸れましたが、

ドラえもんに「きみのもう一度行きたい宿に泊まらせてあげるよ!」って言われて、ブリキンホテル直結のトランクみたいな道具を出してもらえたら、迷わず「ヘリタンス カンダラマをおねがいします!」っていう。

 

またあのトカゲに会いたい。

次に行く機会があったとしたら、あの宿は、あの頃よりもっと森に包まれているのだろうか。